
冬眠とは?(入門編)
冬眠する哺乳動物(小型のものが多い)は、秋の頃から食物をたくさん食べ、巣穴に餌を溜めこんだりして冬の準備に余念がない。食物をたくさん食べることで、肩のあたりにある褐色脂肪組織に脂肪を溜める(恒温期)。いよいよ冬が来て外気温が低下してくると、安全な巣穴の中で、体温を積極的に下げ始め、とうとう気温に近い温度まで体温を下げてしまう。この過程を冬眠の「導入期」と言う。冬の間は若干の温度変化はあるものの、気温は低く、しばしば氷点下に至ることもある。冬眠している動物は日常の「眠り」の状態ではなく、代謝活性が低く、臓器の活動はおろか脳活動も極めて抑えられている(冬眠期)。脳波は緩やかで、単一なノンレム(NREM)睡眠の状態であり、眠っている時のように、レム(REM)睡眠とノンレム睡眠が繰り返されるような状態ではない。当然、夢などは見ていない。脳の活動があるレム睡眠の時に夢を見るのである。
しかしながら、冬眠動物はこのような状態を春まで保ち続ける訳ではない。例えばリスなどの動物では、2週間位で「覚醒期」が訪れる。体温は上昇し、固有の体温まで復活する。脳の活動も活発になり、レム睡眠が頻繁に現れる。体温上昇とともに、呼吸率、心拍数の上昇も起こり、しばしば小刻みに体を震わせる行動をする。震えは体温上昇を助けるのである。そして、ついに恒温状態にまで至る(恒温期)。ただし、目覚はしない。やがて、初めのように再び冬眠導入が起こり、冬眠状態に至る。この2週間のサイクルは、冬の間中繰り返される。「睡眠」ではレム期が体の休息には必須であり、「冬眠」にも、ある頻度で必要であると言われている。したがって、この繰り返される体温上昇と下降は、ノンレム睡眠にある冬眠状態から、生存に必要不可欠なレム睡眠を確保するために行なわれる補償行為と考えられている。しかし、これにはかなりのエネルギーを消耗する。生物界の矛盾のひとつである。ひと冬のエネルギーの収支をするとそれでも引き合うと言うことか。
クマなどは冬眠するように思われているが、この場合は少し違う。クマの冬眠は自発的に目覚めることができる。体温の低下も2ー3℃位であり、真の意味での冬眠とは異なる。実際、冬期にも餌を求めてさまようクマをしばしば目撃する。クマの場合は「冬ごもり」とか「巣ごもり」と言うのが正しい。
冬眠のメカニズム
このような冬眠の仕組みは一体どのようなものであろうか。残念ながら、現在のところ全く不明である。しかしながら、次のような発見は画期的であった。
1969年DaweとSpurrier は深い冬眠中のリスの血清を採り、これを夏の活発なリスに注射した。すると、夏であるにも拘わらず、リスは冬眠の準備を始め、48時間以内に冬眠してしまった。冬眠中のリスの血清には冬眠を誘導する物質が存在するということである。これを彼等はHIT(hibernation Inducing Trigger)と名付け、さらに研究を続けて来た。同じグループが、このHITは種が異なっても同じ効果を持つこと(種に非特異的)、また血清中のアルブミンというタンパク質に強度に結合している物質であると同定した。しかしながら、この実体は未だに不明のままである。
一方で、生理活性ペプチドの研究が進み、本来痛みの制御を行う脳内ペプチドで知られるメチオニンエンケファリン(Met-enk)が冬眠誘導に関わっていることが報告された。脳内には様々なペプチド(短いアミノ酸の鎖)が存在し、脳の情報伝達を担っている。植物から採れるモルヒネに痲酔作用があることはよく知られているが、実は脳内にもこれと同じような物質が作られている。これらをアヘン様ペプチド(オピオイドペプチド)といい、神経細胞に作用して痲酔効果を及ぼす。脳で生産され、神経細胞の表面にあるペプチド受容体に結合して、細胞に情報を伝達する役目をもっている。ペプチド受容体には数多くの種類があり、オピオイドペプチドと構造が似ていると結合して同じ効果を生み出す。モルヒネはたまたま自然界に存在する受容体の類似体であった。おおまかに三種類のペプチド受容体が脳内に存在する。delta(デルタ)、kappa(カッパ)、mu(ミュー)である。
ナロキソンは上の三種のオピオイドペプチド受容体に結合して、オピオイドペプチドの作用を阻害する拮抗阻害剤であるが、HITを投与した動物にこのナロキソンを同時に投与すると、冬眠の誘導が起こらないことからオピオイドペプチドが冬眠誘導に関与していることが示された。kappaおよびmuオピオイド受容体は恐らくは関与していない。寧ろ、覚醒に関与しているとの報告がある。deltaオピオイド受容体に結合する内在性オピオイドペプチドがメチオニンエンケファリン(methionin enkephalin; Met-enk)というアミノ酸5つで構成されているペプチド(Tyr-Gly-Gly-Phe-Met)である。中枢および末梢神経系、胃、膵臓、腸管粘膜細胞、下垂体神経葉などで合成され分泌されるが、遺伝子を異にする同じ構造のメチオニンエンケファリンが副腎髄質でも合成される。脳中、とくに大脳皮質、線条体に存在し、視床下部室傍核ではオキシトシンニューロンに分布している。本来、この物質は痛みの制御に関与しているものであるが、ロイシンエンケファリン(Leu-enk: Tyr-Gly-Gly-Phe-Leu)と同様に鎮痛作用は弱く、一過性である。同じエンケファリン類のペプチドE、BAM22Pはそれに反し強力である。メチオニンエンケファリンの薬理的作用としては他に、 delta、kappa、mu受容体が関与するシナプス前抑制によって多くのニューロン活動を抑制したり、海馬のニューロンを興奮させたりする。メチオニンエンケファリンは特に肺に多く含まれるエンケファリナーゼという酵素によって速やかに分解されるため、血管内注射ではほとんど効果がなく、その酵素への耐性を付けるため5つのアミノ酸の内2つをL型からD型に置き換えた人工合成ペプチドのDADLE (D-Ala-Gly-Gly-Phe-D-Leu) はよく用いられる。自然界ではD型は存在しないので、酵素の分解を受け難いのである。このような類似体を受容体リガンドといい、本研究にも多く用いられた。
このメチオニンエンケファリンは、従来知られていた作用とは別に、哺乳類の冬眠誘導にも重要な働きをすることが示された。冬眠しない哺乳動物にこれを投与すると、冬眠に特徴的な症状が現れることが報告されている。さらに、冬眠中の動物の脳に多量に見い出されること、HITではなく、このペプチドの投与で夏期の冬眠が誘導されること、などの証拠があり、冬眠の誘導に重要な働きをしていることがわかっている。また、冬眠をしない哺乳動物に投与した場合、冬眠に特徴ある症状、すなわち心拍数の低下、呼吸率の低下、消化機能の低下、排出作用の低下、そして数度の体温低下などが観察されている。特に霊長類にも試され、同様に作用することが報告された。
実際、冬眠と言う言葉はかなり乱雑に使われており、本報告書の中でも統一した用い方をしなければ、思想に混乱を招くことが予想される。従って、一般的ではないが、我々プロジェクトの間では、以下のように定義したい。
1)冬眠:哺乳動物の冬期の不動状態を指す。小型の哺乳動物(リス、ヤマネ、コウモリ、モルモットなど)の行なう形式を指し、クマなどの冬ごもり とは異なる。クマは自分の意志で目覚めることができる。
2)休眠:一時的休眠と冬期休眠
一時的休眠とは変温動物が、一時的な温度低下によって誘導される極めて受動的な不動状態を指す。
冬期休眠とは変温動物の冬期の不動状態を指し、冬眠する哺乳動物と結果的には類似している。秋からの準備も含む。ただし、冬眠動物と異なり、休眠中に覚醒することはない。
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